1986年の4月、出会いはある日突然やってきた。
当時通っていた高校が新宿の街中、しかも制服着用義務がなかったのもあり、誘惑に弱い自分
は進学校に通うも全く勉強をせず日々刹那的に遊び呆けていた。当然のことながら何となく受
けた大学入試に合格出来るわけもなく、今思えばよく卒業出来たと両親と学校に感謝するばか
りである。
その後も一応予備校に行くフリをしながらやはりただ街を彷徨うばかりだった。学生時代から
ファッションには興味があり学校にスーツを着込んで通うというかなりませたガキは特に菊池
武夫さんのデザインする洋服に強い憧れを抱いており、手は届かないながら雑誌等に出ている
写真を眺めながら自分だけの世界に入っていた。そして菊池さんの手掛けるTAKEO KIKUCHI
のファッション・ショーのチケットを今は無き『MRハイファッション』の読者プレゼントで
引き当て、当時代々木体育館を挟んで北と南側に特設テントを建て行われていた東京コレクシ
ョンの会場に足を運んだ。
19歳になったばかりの自分、しかも生まれて初めてのショー、まわりに着席する格好いい大人
達に混じり1人開演を待つ間、興奮と不安が入り乱れて武者震いしていたことは今も忘れない。
開演時刻が過ぎてしばらく、会場の照明が静かに落ちていく。ショーの始まりだ。
ショーが始まる。照明が点くととキャットウォーク沿いにいたバンドメンバーを装ったモデル
たちが一斉にバックステージに吸い込まれていく。バンドが冒頭に出て来るのなら理解出来る
が客席から引っ込むという演出はさすがに驚かされた。素晴らしい音楽が会場に流れる中、
個性的なモデルたちが次々と上質でクラシカルなスタイルの洋服を身にまとい登場してきて、
自分はどんどんショーに引き込まれていく。
数シーン目、ステージにサングラスを掛けた細身のスーツ姿の男性が登場。
彼が後になってロンドンからやってきたジャズDJ、Paul Murphy(ポール・マーフィー)だと
知ることになる。
彼が携えたレコードをプレイヤーに載せた瞬間音楽は一変アフロキューバン・ジャズのダンサ
ブルなチューンが響きサングラスの男性は身体をスウィングさせる。
Kenny Dorham / Afrodisia (Blue Note / 1955)
ラテンのリズムに合わせてスーツ姿のダンサーが登場。彼らこそジュリアン・テンプル監督作
品、映画『ビギナーズ』に出演していたイギリスの”踊るジャズ”ムーヴメントの中心にいた
The Jazz Defektors(ジャズ・ディフェクターズ)であった。
バレエを基調にしたと思われる身体の線を美しく魅せる華麗なダンス。この後IDJ,Brothers
In Jazz、Jazz Cotech等多くのジャズ・ダンスを見ることになるが、この時ほど優雅で美しい
ものはなかった。
体中に強い電流が流れるような衝撃を受け、呼吸も出来くなるほど興奮し、食い入る様に
その踊りを見つめ続けた。
この時こそが日本のダンス・ジャズ(クラブ・ジャズ)の歴史の始まりの瞬間だったと今は
思う。この場所に自分がいなかったならば人生は全く違ったものになっていたと今は思う。
余談だがこの時のショーには同じくイギリス・ブリストルからサウンドシステムThe Wild
Bunchのクルーが来日し、出演していた。この後メジャーデビューを果たし、数年後Massive
Attackと改名し一気に世界的にブレイクすることになる。
メンバーのMilo(マイルス・ジョンソン)。
現在は定期的に日本を訪れプレイしている彼。
当時の4つ打ちをスクラッチしながらミックスする”荒技”には度肝を抜かれた。
*2010年12月にハニカムブログに投稿したものを再編集しました。